目次
・スピ生活の罠2
・スピ生活の罠
・不足の立ち位置に戻りたがるエゴ
・怒りは出て当然
・エゴの使い手になる
・どうなろうとそっちの方がいい
・根底には不安じゃなく安心を流す
・自分を優先できない人の愛
・体調が悪い時の振り返り厳禁
本文
宇宙にお任せの誤解
宇宙にお任せする時に、誤解しがちなのが、「上手くいかない事を宇宙という名の外側の何かに任せたらなんとかしてくれるんだ」という姿勢。
これだと自分への信頼はなく、「今の自分ではダメ、上手く行かないとダメ」という不足ベースにのっとって自分がなんとかする、というメソッドのひとつとして、宇宙にお任せをやってしまっています。
宇宙へお任せする、ということは、宇宙に同調させてあげていい、良いようになるままの自分で居させてあげていい、現実の監視や管理をやめてコントロールしなくていい、みたいなニュアンスで、そのスタンスは何より自分への信頼の形です。
それを一言で言うと【ジャッジしない。】これに尽きるかと。
ジャッジしない。は何度となく聞いた言葉だと思いますが、ジャッジ(管理)は本当に気づかないレベルでせっせせっせとやっているんですよね。
常に現実や自分を監視して、「○○だから…」「○○なのに…」を無意識でやっています。それも事実ではなく解釈を元にしながら。
宇宙にお任せするということは、日常のあれこれに「○○だ。」で終わりにすることなんです。
例えは『あ、今ジャッジしていたから、ジャッジしないようにしないと…』ではなく、『今、ジャッジしていた。』で終わりにする。ここを起点に続きを管理しようとするのを止めること。解釈を使って続きを管理しようとしない。
同じように感情も管理しようとしない。『これは嫌、ムカつく、イラつく』でいい。それらが出ていい。それらにジャッジも管理も改善もしなくていい。
『宇宙に任せたのに、良くならない』『宇宙に任せたのだから、上手く行くはず』これらもコントロールになっていて、ぜんぜん宇宙に任せていないんですよね。
「宇宙に任せる。」(空白)
これが宇宙へのお任せですが、この手応えのなさに納得できずソワソワしているのが、可愛い可愛い"我らがエゴちゃん"なのであります(笑)
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スピ生活の罠2
スピリチュアルできっても切れないのが、波動や周波数を上げようという概念。
これもまた絶妙な罠を仕掛けてきます。
『波動を上げるには…』は、結局『○○しなければ○○になれない』の条件付けを強めてしまうことになるんですよね。そしてお馴染みの、自分責めへのルートへGO。
「一向に気分が良くならない私…」「人生にワクワクしていない私…」「感謝ができていない私…」「掃除をしたくない私…」「優しくできなかった私…」「自分を大切にしていない私…」「○○な私…」「○○な私…」。。。
おいおいおーい!
もう波動を上げる知識も心持ちもやる気もあることは充分わかった。それよりも自分への厳しい審査の目をやめるのが先。ここからは、どれだけ自分へのOKラインをゆるめられるかが勝負ぜよ!
『さっきの不快な出来事、あの気になる件、ずっと気がかりなこと、諸々の問題、ソワソワしている自分、嫌なことを思い出している自分、それらにとらわれてる自分』
…どんな状態の現実に居るどんな状態の自分もOK!
それでいい。それでいい。今のすべてがそれでいい。叶う私に続いてるから。叶って来ている今だから。
「そのままの自分でいい」と言うとエゴは反発するかもしれませんが、「ずっとこの状態でいい」と言ってる訳ではなく、叶っていくライン上に乗っているから「それでいい」なんです。
叶い始めてきている今の自分を肯定して、叶う未来を受け入れたらいい。そうなっていいと自分に許可を出したらいい。今がどんなだろうとそこから叶えたらいい。
今の自分を受け入れて肯定的になることは、この世界を受け入れて肯定的になっていくこと。これで波動が上がらないわけないですよね~^^
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スピ生活の罠
スピリチュアルの世界に入り込んだばかりに、自分責めも加速してしまう…。という罠について。
【自分が現実を創っている】という仕組みをマジメに受け取り、真剣に理解しようとしている時、現実は容赦なく『叶っていない・望んでいない現実』を突き付けてきます。
そこで思うんです。「この望まない現実…、私の何が悪いのだろう…」と。
そして、自分の不要な思い込みに気づき手放していくはずが、それらが創られていった過去や環境、自分の特性に、必要以上に固執してしまう。手放すどころか握りしめてしまうんですよね。
例えば、「親が○○だったから、子供の時から○○だった、○○な出来事があったから。。。」
これが、めっちゃ罠、罠、罠、ワナワナ。
ことあるごとに「私は○○だから…」を前提とした状態で対処してしまう。
これぞナチュラル殺法!エゴの支配下自分斬り(上手いこと言った)
手放すための気づきが、逆に強固なものになってしまうというミステリーです。
自分の不要な思い込みを手放す為に、それがあることに気づかないと始まらないと思うのですが、深掘りしすぎて過去にのみ込まれると、苦しくなってしまうので気をつけてくださいませ。
今の自分は過去(記憶)と繋げなくてもいい、叶った自分に繋げていたらいい
ということを忘れずに、今日もニヤニヤホクホクの会に集いましょう。
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不足の立ち位置に戻りたがるエゴ
メソッドやワーク、アファメーション、意識改革など、始めた時はやる気になっていても、いつの間にか変わらない日常に戻ってしまう。
それはエゴが『足りてない!どうにかしないと』の立ち位置に戻ってしまうから。いや本当、意識してないとあっという間に戻ってしまうんですよね。
そして「何をやっても変わらない」と言い、「あれが足りないこれが不十分だ」と思い、「どうにかしないと」のループを始めようとしてきます。
そこで大切なのは「あ、また『不足がある(と思い込んでいる)立ち位置』に戻ってるぞい。」と気づくことです。
気づいたなら、不足感が自分そのものにはならないので、俯瞰できる意識から、エゴを無視したり、合いの手入れたり、いなしたりしながら、エゴと距離をとる。
俯瞰できる意識で(これもエゴだとは思うのですが)、
【今日、奇跡的な幸せが舞い込んでもいい。今日、それが起こってもいい。】
と受け入れて、
【私が世界で私がルールなんだぜ。】
のスタイルを貫きながら、こっちの立ち位置をデフォルトにしていきましょう~。
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怒りは出て当然
怒りが出るのは、思ってたのと違う、望みと違う、許容範囲を超えてきた、みたいな時だと思います。
そして怒りが不快だから、何とかしたい!となり、原因や改善方法を探して探して探して探す。正当性や同意や慰めを探して探して探して探す。反省や落ち込みで自分の欠点を探して探して探して探す。
なんとか納得するまで、折り合いがつくまで、落としどころが見つかるまで、ずっとエゴ(思考)の活性タイムに付き合わされてしまいます。
その一連の流れをやめていくには、早々にエゴを納得させたいところです。
そこで提案したいのが『自分の望みと違うのが出てきてるのだから、怒りが出て当然』という捉え方です。
なんなら、怒りを出さざるを得ない状況を当てられた感すらあるという姿勢を取ると、ワンパターンだったエゴ活動が勢いをなくします。
そもそも、怒りは反射的に出るので、笑いや涙やくしゃみやおならと同等に扱っていいのだけど、「怒ってる自分が許せない、ほっとけない」のなら怒ることは良くない、みっともないみたいなラベルがくっついてるので
・「怒ってる自分もカッコいい!」
・「今日も自分を大切にしてるねぇ~。」
のような全肯定も効くと思います。
それにしても、この温厚な我々の怒りを出させられるような場面展開こそがおかしいもの(幻想)だし、その幻想チックな現実は、このような取り組みで、どんどんなくなって行くから、さほど気にしなくていいと思いまーす。(怒りを真剣に捉えてしまう方(過去の私)へ届け。)
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エゴの使い手になる
現実的な何かで頭が捕まっている時、思考(エゴ)は激しく動き回りますよね。
頭の中で、あーだったらこーだったら…あーすればこーすれば…あーなったらこーなったら…あーでもないこーでもない…。
これをやってる時って本当に疲れます。嫌な現実なのに、のめり込んでる状態ですね。
ここで気づく必要があるのは、そうやっている時って、過去の記憶や一般常識が、細部に渡って幅を利かせてないかい?ってことです。
「今までは…」とか「常識として…」みたいな前置きが、とても自然に当たり前の顔して機能しているはずです。
そもそもの部分に決めつけがこびりついていることに気がついて、そこを疑うことができたら、途端に可能性がブワ~っと広がるので楽になるんですよね。
あるあるで言えば、「この年齢だから…」の前置きは自分の中にある定義なだけで真実ではないのかも…と疑ってみる。(「この年齢だし…」でホッとする場合は除きますが、個人的には、それは一時的な対処法として、基本スタンスは年齢は関係ないし、なんの影響ももたない、にしておくのをオススメします。)
でもまあ常識や過去データを手離すのが怖いエゴちゃんは、新規なアイデアにはなかなか納得しないもの。
それでもこっちサイドのエゴ(こだわりゼロの思考)を利用して、あっちサイドのエゴ(こだわりまくりの思考)を飼い慣らしていくと、明らかに現実が変わっていって、世間の常識も薄っすら変わり始めるのを感じると思います。(そう!常識って本当に変わりますよね。昭和や平成の常識って今じゃ馬鹿にされたりドン引きされたり…^^)
私はどんな神的思考も、結局はエゴの域だと思っているので、エゴでエゴを操りながら、魔法使いならぬエゴ使いになって、望む形の現実よカモン!という提案でした。
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どうなろうとそっちの方がいい
日々、選択を迫られている私たち。簡単に選べるものもあれば、かなり悩んじゃうこともありますよね。
どちらもメリットとデメリットがあったり、あちらの顔を立てるかこちらの顔を立てるか…、わがままなのか自分への思いやりなのか…、相手の為なのか自分のエゴなのか…。
ハートに聞いてみても、もはやどちらが心地いいかわからない。。。ってなる時、ありませんか?
そんな時に忘れがちになっているのは、ザ・宇宙への信頼!です。
そうそうそう、あなたの宇宙はあなたを悪いようにはしない、という掟があることを忘れちゃいけません。
という事は、どっちを選ぼうがそっちがいいから、そっちを選ぶようになってるってことです。
それは、適当に選ぼうが、う~んと悩んで選ぼうが、関係ないんです。オキテだから。
…、という体でいると、
「AとB、本当はAがよかったけど、なんとなく流れでBになっちゃった。Bのいい面もあるけどモヤモヤしてるかも…。もう遅いけど、やっぱりAがいいのかな?でも言いだしにくいなぁ。なんかの理由でAにならないかな…。」って時に
「あ、でもBになるなら、そっちの方がいいって事か。ならいっか。」
と、信頼する宇宙に丸投げできたら、
不思議と自分が手を下さなくてもAになるという出来事が、最近ありましたよ~。
ここで重要な事は、Aにしたいから丸投げするんじゃなくて、本当に宇宙を信頼してるから、「どっちでもいい。」になってたってことです。(実際Bでも全然OKだったと思います。なんならBでよかった。ってなる準備ができてました。)
何かの選択で迷っている方がいたら、どっちでもそっちの方がいいんだよいいんだ、いんだ、んだんだ。ってことです。
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根底には不安じゃなく安心を流す
恐れや不安が出る時って、その地点から「改善されないかも…、もっと悪くなるかも…、困る事になるかも…」って思ってる時じゃないですか?体調や関係や物事など何でも。
そんな時は、「改善されない、もっと悪くなる、困ることになる」みたいなエゴ信念がガチガチのまま根底にずっと流れっぱなしになってるから、まずはそこに気づく事が大切だと思います。
恐れや不安が出た時には、記憶や一般論や過去データを元にした「○○は○○だ」と疑いもしない信念を、見直す必要がないかみてみるといいんです。どんな信念でも、不快に感じるなら自分にとっては嘘っぱちなので。
そして、記憶(数秒前も過去)を考慮せずに、望みに基づく新しい信念を誕生させる。不安な状態のまま(過去のまま)ではなく、何もない今に新しい概念を植えつける感じです。(安心感が芽生える)。
それで、すぐに変わるものもあれば、すぐには変わらないものもあります。けれど、新しい概念が自分の信念になってくることで、現実は変わらざるをえないんですよね。
なので普段から
・すぐに改善される
・どうせ良くなる
・どうせ治る
・結局、大丈夫
みたいなものを、自分に纏わりつかせておくと、いざという時に気持ちを早く立て直せます。
経験上、未然に防ぐのってハードル高いけど、とりあえず○○(望まないこと)になっても、どうせ良くなるから。というスタンスでいる方が、気楽で居られるのでオススメです。
たった今からは、不満や不安の蛇口はしっかりと閉めて、満足や安心の蛇口を全開、流しっぱなしでよろしく~。
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自分を優先できない人の愛
【自分を一番大切に。自分を犠牲にしない。罪悪感を手放せ。】…、って分かっているけど、自分のことを優先できない。うんうん、そうですよね。まったくその通りだ。歌いましょ、歌いましょ。『ぼ~くらはみんな~生~きづらい~。自分を優~先できないもん♪』
自分を優先しよう!が逆にプレッシャーになり「頼まれると断れない…、自分を後回しにしているかも…、好きなことができていない…、自分をおろそかにしている…、優先しようとすると罪悪感がやってくる…」みたいに自分を反省してしまう方に伝えたい。
自分を優先できていない=他者を思いやってる。つまり他者に優しいって、それはもう愛でしかない!!人の気持ちになって、人のために、人助け、善意、善行、愛、アイアイ🐵
その優しさを反省したり、否定したり、悔やんだり、嘆いたり、愚痴ったりする前に、まず目一杯褒めることが、何より自分を優先していることになると思うんです。その時はそうしたかった(そうするしかなかった)という優しい思いにハイ拍手。
例え本意じゃないとしても、人の為に何かをしている時は、宇宙や世界に、愛を放出してる尊い時間。それが濃厚にできてるってすごいことじゃないですか。何度でも褒めとかないと。ハイ拍手。
自分を褒めながら、とことん受け入れて、無理せずとも素の自分で愛し愛される。誰を優先してるかなんて考えなくていい。思いのままにそのままに。そんな自分で生きやすく幸せな世界に変わっていく様を見届けようではありませんか!
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体調が悪い時の振り返り厳禁
病気や体調を崩した時に、一番やりがちでやってはいけないこと。それは、原因探しという名の自分責めです。「なぜ?」という疑問から、気づきを得ることもありますが、自分には問題があるという前提で話を進めないように注意してください。
「健康でないと…」という視点から自分の行動や思考を改めようとする時、「そのままの自分では良くない、改善しないとダメだ。」になっています。
知らず知らず「健康な自分でないとダメ」という条件をつけているのです。
そうではなく「そのままの自分でいい!!」なんなら
「体調が悪い私のまま健康になる!」でいいんです。
体調が悪い時にすることは、「嫌だね、辛いね、しんどいね」と寄り添うことと、「だからと言って、私に問題がある訳ではない。最近の行動や思考を思い出して改める必要もない。たった今の自分でいいし、この自分で健康になるから大丈夫。」という、全肯定の姿勢を崩さないことです。
なぜなら、あなたはどの瞬間も完璧な存在なのだから~、そんなあなたの事がすきだから~。
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